年が明けた頃、ツイッターの英語圏のタイムラインで「本が読めない」と嘆いている人がいるのを見かけました。忙しいからといった単純な理由ではなく、それはもっと切実な問いかけでした。
もっと鋭い頭脳をもっていたころが懐かしい。どう治せばいいんだろう。注意力がなく、本を読むことができないし、記憶がボロボロなので情報を蓄えることができない。読書ができていたころがなつかしいけど、いまはもう無理。どうすればいいのだろう
これに対して、「新型コロナの後遺症なのではないか」「老化だから仕方ない」といった反応がさまざまに寄せられていて、どれが正解なのかを他人が決めつけることは、当然のことながらできないのですが、反応として目を引くものがひとつありました。
答えは「そのスマートフォンをなんとかしろ」だ。他のなにかではない。スマートフォンから離れるんだ
これがどこまで、悩みを訴えていた当人に答えているのかはわからないものの、この反応には頷ける部分があります。
私の心の中に浮かんだイメージはこうでした。自分が意図しているのかしていないのかに関わらず、スマートフォンを開くたびに勝手にSNSやYouTubeに指が吸い寄せられてゆく様子。金縛りにあったように、スクリーンから目を離すことができない、自分自身を客観的に見下ろす様子でした。これは決して他人事ではありません。
日常にはこうした蟻地獄のような、いつのまにか獲得してしまった癖がたくさんあります。問題はこれをどうするかです。
目標が、うるさすぎる
新年が明けて一年の目標を立てようとしているときに、私はこの投稿のことを思い出していました。
おもむろに「年に○○冊の本を読む」、「○○を達成する」などと気負ったことを書いてもよかったのですが、どうにもいまの自分にはそうした気合いの入れ方が大げさすぎるような気がしました。そう、いまの自分には、そうした気負いを持つことが「煩い」気がしたのです。
そんな目標を立てても立てなくても、毎日は忙しく義務や責任は追いかけてきます。それはリマインダもアラームも必要なく、いつでも心にのしかかる現実です。この上、理想の自分によって現実の自分を追い立てる意味は感じられませんでした。
しかしその一方で、なにかを変えるちいさな仕掛けを用意したい気持ちもあります。現実に振り回されるだけの存在ではないと、あらがうような仕草です。
子供の頃、砂場で水を流して遊んでいるときのことを想像してみてください。水は流れれば流れるほど砂に深い溝を作って、それ以外の場所には行かなくなります。日常に無意識に彫り込まれている行動はそれに似ています。
しかし、少しだけでいいので、その水路に別の道をつくればたちまち水はそちらに流れ始めます。水をわざわざ運ぶ必要はありません。水の流れにちいさな切れ込みがひとついれれば、流れはすぐに変わるのです。
達成すべき終着地点から目標を立てるのではなく、結果的にそこへと流れをみちびくきっかけ。煩くない、「静かな目標」です。
行動を静かに変える目標
静かな目標というのは、日常にとけこんださりげない行動変容の先に結果的になにかが達成されるような、そんな目標の立て方です。
たとえば先ほど例に挙げた「年に○○冊の本を読む」という目標は、それがその人にとって自然で、こうした目標を立てることで奮起できる人にとっては問題はありません。
しかし一方で、必要なのは「○○冊」という結果ではなく、忙しくて追い詰められている日常に少しだけ息継ぎができる時間を作りたい人には、こうした目標は煩すぎます。結果が過程を乗っ取ってしまい、もう一つ自分を追い詰める袋小路が増えただけに過ぎなくなります。
それならば目標自体をもっとさりげなく、少しだけ行動が変容するように、意識が多少変化するだけでよいという程度にまで「静か」にします。たとえば、**「毎日、本を開く時間を作る」**といった具合にです。
最低限の行動変化に沿うように最低限の数値目標を立ててもいいでしょう。たとえば「一日に10ページ読む」という目標は結果的に10ページではおそらく済みませんし、1ヶ月で積分すればそれだけでも2冊程度、一年で24冊の真剣な読書につながります。
静かな行動変容は、起こしたいと思っている行動を邪魔しているものを取り除くといった方法でも実現できます。たとえばYouTubeやXのアプリをホーム画面から消すだけでも、スマートフォンをひらいて自動的に意識がそこに吸い込まれるのを避けることができます。
どこに静かな目標を置けばいいのかは、毎日の行動にヒントがあります。たとえば iOS のスクリーンタイムを開いて、ツイッターを見ている時間が一日に数時間もあるのをみて「うっ」と呻いてしまうようなら、そこに切れ込みを入れます。極端な話、アプリの利用時間制限機能を設定すればそれが新しい時間の使い方を導いてくれます。
読書の時間はなかなか意識できないので、Bookly のようなアプリを使って読書時間のログをとったり、平均時間を可視化するようなこともできます。Booklyはログをとれば、総読書時間、一日あたりのページ数、総ページ数などといった統計が取れますが、この「平均してどのくらい」かという部分を意識するわけです。
別に厳密である必要はありません。必要なのは達成ではなくてきっかけだからです。きっかけによって行動が変われば、結果は自然にやってきます。結果が導かれるようにきっかけを配置できるからです。
バランスを作り出す
もちろん、すべての目標が「静か」である必要はありません。仕事の目標には具体的で野心的な数値目標や、緊張感を与えてくれる文言をいれてもいいでしょう。
そして、ゆるやかに変化をつけたい部分には、行動を変えるきっかけだけを目標として立てておく。そんなバランスをとった目標の立て方もあります。
一年の最初に立てておいて、いっさい目標を変えてはいけないなどと自分を縛るのもナンセンスです。一週間運用してみて「なんだか違うな」という部分はどんどんと変えればいいのです。
なんだか目標というと意識が高くて、自分で自分のしていることに満足していそうな、自信たっぷりな様子を想像してしまいますが、もっと自信なさげな、さりげない行動変容でもいいと思うのです。
少しだけ行動が変えられた。少しだけ自分を変えることができた。同じことの繰り返しに思えた日常に、たった5分でも別のなにかが訪れた。そういうものでもよいのです。
静かに人生を変えようじゃありませんか。
Source: ライフハック